西野 寛
氏名(日本語):宮守 銀河
(本名:西野 寛)
(ローマ字):Miyamori Ginga
プロフィール
物書き大阪在住
2018年 2月 東北芸術工科大学 卒業論文にて瀬島賞 受賞
3月 東北芸術工科大学 芸術学部 美術科 総合美術コース 卒業
2021年 3月 株式会社水谷事務所/NPO法人 MERRY PROJECT
メリー関西支局長 就任
現在はサラリーマンをしながら、Webサイトの"NOTE"にて執筆活動をしている。
プロフィール
ただ話を合わせるだけで、コミュニケーションは取れる。ただ知識を覚えたり、猿真似するだけで仕事はできる。
別にそれは「わたし」じゃなくても取替可能な事だ。
では「わたし」とはいったい何なのか?
そんな空っぽな感情の答えを求めて、藝術論を専攻。
大学では「東洋哲学」と「東洋心理学」を基に「美術教育」を行うというコンセプトで、画家の岡田真宏 教授から指南を受け。 宮沢賢治を研究し、「より繊細に文章の中にある人間の心」を読み解く業(わざ)や「人の心が動く"藝術"とは何か」といった事を学んだ。
以下作品
『自分として生きる』
幼いときから機械的なやり取りで世の中渡り歩ける事を悟ってしまったもので。そんなもんだから赤の他人が、こうも表面上の態度次第で変わってしまうものかと、自分が生きていることが怖くなった。
機械的に人に話を合わせたり、興味を引き出したり、ケレン味を加えて相手が喜ぶ態度を取るだけなら機械がやれば良い。何より自我なんていらない。
新しい学問に励むこともその塩梅に近いものがある。自らが成功法や一般的に効率の良いとされる「やり方」に合わせるか。自らが試行錯誤を行いながら、オリジナルの「やり方」を創作していくか。さじ加減が難しい。
成功法でやるにしてもやらないにしても、自分の中で落とし処を見つけないと、記憶した知識がちぐはぐに散らばり、ただ暗記しただけになる。そうではなく、暗記した知識が自分の中でつながり、腑に落ちて初めて、考え方が身に宿る。
人が一つの学問を究めることは途方もない時間がかかる。 そうした学問の性質からか、急いで失敗したり、本筋を見失い易いのだろう。 学問を究めるには焦らず、他人に振り回されず、本筋を見据えてゆっくりやるしかないのだろう。
『利き手』
なるほどね。何を思ってか、今日は左手で文章を書いている。 普段使わない手を使うと、右手でものを考える事と左手でものを考える事はこうも違うものかと痛感する。 例え意識的な差別がなくても、右手社会の中で左手の住民は多かれ少なかれ劣等感を抱くよな。 世の中、こんな事だらけで。他者との違いに劣等感を感じるというのは誰もが感じるであろう。 そんなもんだと思い、生活する。 そのそんなもんだと思える事に価値があろう。 一歩ひいてものを見てこそ面白い。