JPA日本文化海外普及協会創始者
塩幡 一二(故)
氏名(日本語) :塩幡 一二
氏名(ローマ字) :Siohata Ichiji日本財団 団体ID 1771769930
1. 出自とルーツ:「台湾生まれ」という原点
塩幡氏は、終戦前の激動の時代に台湾で生まれました。歴史的に「湾生(わんせい)」と呼ばれる世代にあたります。親の仕事などの関係で幼少期を台湾で過ごし、戦後に日本へ引き揚げてきました。この「台湾生まれ」というアイデンティティと、現地への深い愛着、そして親日的な台湾の人々への感謝の念が、ビジネスを引退したのちの「晩年の活動」における非常に大きな原動力となりました。
2. 経歴:メディア広告界のリーダーとして
① 電通時代(メディア・放送分野のスペシャリスト)
日本最大の広告代理店である株式会社電通に入社。主にテレビや衛星放送などの「メディア・放送分野」の要職を歴任しました。1990年代、日本のテレビ環境が地上波から「CSデジタル放送」などの多チャンネル化へと舵を切る大転換期において、デジタルネットワークの将来展望やメディアのあり方を電通の立場からリード。当時のテレビ広告業界の指針となるような研究や論文(「衛星放送の視聴状況と放送の将来展望」など)にも携わり、メディアの未来を見据えるスペシャリストとして確固たる実績を築きました。
② ビデオリサーチ社長時代(1999年〜2000年代初頭)
電通での確かな実績とメディアへの深い知見を買われ、1999年6月に株式会社ビデオリサーチの第6代代表取締役社長に就任しました。当時はインターネットが急速に普及し始めた黎明期であり、塩幡氏は「これからはネットによる市場調査と、多角的なデータ運用の時代が来る」と予見。電通仕込みの先見の明を発揮し、同社の近代化を推し進めました。
- ネット調査への早期参入: インターネット視聴率やデジタルマーケティングの基盤となる「株式会社ビデオリサーチネットコム」(1999年)を設立。
- 新サービスの拡充: ネットユーザーのデータベース化や、ブランド認知・購買データを一元化する新サービスを打ち出し、同社を「次世代のメディアリサーチ会社」へと進化させました。
3. 晩年の活動:日本文化海外普及協会(JPA)の設立
ビジネスの第一線を退いた後、2010年代に一般社団法人日本文化海外普及協会(JPA:Japan Promotion Association)を自ら立ち上げ、代表理事(会長)に就任しました。- 設立の想い: 「日本の素晴らしい文化が、海外に対して圧倒的にコミュニケーション不足である現状」や「海外広報のプロが極めて少ない現状」を打開したいという強い社会的使命感からスタートしました。
- 「日本文化塾」の主導: 工芸(Japanese traditional crafts)、御茶(Chaji)、盆踊(Bon dance)といった日本の伝統文化の良さを国内外に伝える活動を精力的にプロデュースしました。
- 台湾への恩返し: 自身の生まれ故郷である台湾(台南市など)に自ら何度も足を運び、現地の行政や人々と深く連携しながら日本文化のイベントや講演を開催。単なる一方向の発信ではなく、台湾と日本の絆を深める「双方向の文化交流サイクル」を作り上げました。
4. 人物
塩幡一二氏は、メディアの最前線で「数字」や「広告統計」という客観的なデータを扱い、日本の放送・広告ビジネスのインフラを近代化させた冷徹なビジネスプロフェッショナルでした。しかし、そのキャリアを終えたあとに彼が選んだのは、自身のルーツである台湾への想いを胸に、「日本文化の美しさ」というエモーショナルな価値を世界へ届けることでした。ビジネスと文化外交の両面において貢献しました。
2017日本文化塾in台南訪問JPA台日文化交流懇親会
